<スタッフブログ>
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860年7月7日 – 1911年5月18日)
大規模な交響曲を主とするマーラーの作品は、1960代初頭までは日本ではほとんど演奏される機会がありませんでした。
しかし1960年代半ばまでにバーンスタインが全集盤を発表すると徐々に演奏回数も増え、クーベリック、ショルティ、インバル等全集盤の発表が相次ぎ、日本でも今ではベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスに次ぐ演奏回数を誇る人気作曲家になっています。
もっとも欧米でも、マーラーが作品を発表していた当時は、指揮者(ウィーン宮廷歌劇場等)としては認められていましたが、作曲家としての評価はさほど高くなかったようです。
晩年の妻アルマへの手紙にも「やがて僕の時代が来るだろう。僕も君のそばでその時代を体験できれば良いのだが」と言っているくらいですから、本人も自覚していたようです。
私も交響曲第2番ハ短調を初めて聴いた時も、まるでサスペンスドラマのBGMのような第1楽章から急に純粋で汚れのない曲想の第2楽章に移っていった時は、馬鹿にされたような大きな違和感を感じ、しばらくはマーラーを聴くのを止めたものです。
きっと当時の聴衆も私と同じように、通俗と高貴の混在に戸惑ったのではないでしょうか。
しかし、どれも大規模、複雑、過剰な交響曲を我慢して聴き進めているうちに、何とも言えない高揚感を感じるようになりました。
それは、いかに美しく、いかに巧みに、統一感を持たせて聴かせるかという古典派の耳で聴くのではなく、マーラーはこの曲で何を表現したいのかに集中して聴いていくと、枠組みなり統一感の欠如というのは気にならなくなったからだと思います。むしろそれが必然であるかのようにマーラーワールドに没入できるようになります。
今のマーラー人気を見ると、聴衆がマーラーに追いつき、彼の言う「僕の時代」が来たようです。
しかし私個人的には、こうした緊張を強いる長大なマーラーの交響曲はそう頻繁に聴くことは出来ません。
幸いマーラーは沢山の歌曲を残してくれています。
私がよく聴くのは「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の中の、「私はこの世に忘れられて」です。冬の夜、一人で聴くことをお薦めします。