横浜・音楽はじめて物語

日本で初めて洋楽が演奏されたのは「いつ、どこで」だかご存知でしょうか?

時は、1854年3月8日(旧暦2月10日)、場所は、現在の横浜開港資料館が在るあたり。

と言えば、そうです、アメリカのペリー提督が黒船からボートに乗り換え、日米和親条約締結のため初めて横浜の浜辺に降り立ったその時に、アメリカ海軍軍楽隊が勇壮に奏楽を開始したのが、日本での初めての洋楽演奏とされているのです。

トランペット、コルネット、ホルン、トロンボーン、クラリネット、フルート、大太鼓、小太鼓等々、当時の日本人が初めて目にする楽器がペリー来朝図絵に描かれており、このとき演奏された曲は、現在のアメリカ国歌である「星条旗」と、星条旗の前に事実上の国歌として扱われていた「コロンビア万歳(ヘイル・コロンビア)」という曲でした。さぞ、ペリー上陸の威容を盛り上げ、行進の興奮を倍加させたものと想像されます。

横浜開港資料館HPより

まさに、それまで200年以上続いた徳川幕府の鎖国体制が派手な音楽で破られたと同時に、西欧文化の流入が始まりました。更に、横浜は1858年の5か国修好通商条約により開港場の一つに選ばれ、居留地の設置も定められることになったことから、横浜は西欧海外に開いた貴重な窓として、文化の受容吸収に大きく貢献していくことになるのです。

このような経緯から、横浜はあらゆる分野にわたって、日本初或は横浜発祥のものが沢山ある街として成長発展していくわけですが、このブログでは音楽関係に限っていくつか紹介したいと思います。

モーツァルトの作品が初めて日本で響いた街も横浜でした。

開港に伴い、居留地として定められた、山下居留地(現在の山下町と日本大通りの東側半分)、山手居留地(現在の山手町)の2か所に、海外の商人、役人や技術者及びその家族達が移住してきます。同時に、異国に暮らす居留民の保護や居留地の防衛のために各国は駐屯軍を派遣しましたが、当然その駐屯軍に付属した軍楽隊も一緒に来日しました。(音楽は軍隊の活動、行事に欠かせないものです)

中でも、1864年にイギリスの本格的な駐屯軍として横浜に上陸した、イギリス第20連隊第2大隊付属の軍楽隊は、現在の「港の見える丘公園」周辺に兵舎を設営し、毎週金曜、或は土曜日の夕方から居留地民を慰めるため野外演奏会を開催していたとの記録が残っています。その中に、1865年9月30日土曜日、モーツァルトの「魔笛」序曲が演奏されたとの記録が有り、おそらくこれが日本でモーツアルトの初めて演奏された作品ではないかと言われています。この野外演奏会では現在でも上演されている名作オペラの序曲や抜粋が数多く演奏されており、水準も高く本格的な演奏会であったようです。

場所は、横浜海岸通りで、現在の山下公園通りですが当時山下公園は無く(山下公園は関東大震災の瓦礫で埋め立て造成されて、1930年に開園)、海に直接接していますから夏の夕方の海風は爽やかで、居留民達もさぞ楽しんだことと思います。

さて続いて、日本国歌である「君が代」が、当時横浜に駐屯していたイギリス第10連隊の楽隊長により作曲され、その初めての演奏も横浜であったということをご存知でしょうか。

当時、日本は開国し明治維新を経て近代国家として歩み始めたというものの、統一国家としての体裁は整っておらず、国歌の概念もなく、外交上の儀礼式典における国歌吹奏の風習も有りませんでした。

さすがにそれはまずいということで、1869年から1870年にかけて薩摩の大山巌らが歌詞を古歌から選定し、イギリス第10連隊の楽隊長フェントンに作曲を依頼し完成したものが、日本で初めての国歌「君が代」となります。

そして、1870年8月、現在の横浜の山手公園にあった音楽堂で初めて演奏され、9月には東京越中島での天皇の陸軍観兵式の際に吹奏されたとあります。

フェントン作曲の「君が代」は、現在Youtubeでも視聴できます。歌詞は現在の「君が代」と同じでありながら、メロディーは堂々たる讃美歌調なので最初は違和感を感じますが、聴きこむほどこれも有りかなと言う気がしてくるから不思議です。

残念ながら、この最初の「君が代」は当時の国民にもあまり評判がよくなかったようで普及せず、改訂する方向で検討が始まったそうです。結局、1880年林広守らが雅楽調の音階で作曲し、これが今の「君が代」となって礼式曲としての地位が定まったと言うことです。

是非、皆さんも自分の耳で聴いて、比較してみると面白いですよ。

今回ご紹介したことを体験するには、以下のルートで散歩されると良いと思います。

まず、横浜の関内駅で降りましょう。横浜公園を抜けて日本大通りを歩いて、横浜開港記念館、開港広場でしばらくペリー提督の上陸を想像しながら時を過ごします。

開港広場

山下公園通りを元町方向に歩きながら、当時の軍楽隊の音色を求めて耳を澄まします。

山下公園

港の見える丘公園に向かって坂を上り、当時の居留民、駐屯部隊、軍楽隊の生活に思いをはせます。

港の見える丘公園

そのまま山手の西洋館を見学しながら、山手公園に向かいましょう。ここには、フェントンが「君が代」を演奏したと言う、あずまやが有ります。(勿論当時のものではありませんが)
また、テニス発祥記念館に入ると、フェントン作曲の「君が代」が流れています。

山手公園
テニス発祥記念館

散歩の最後は、山手公園下の妙香寺を訪問しましょう。ここでフェントンは薩摩の藩士たちに吹奏楽を教え、「君が代」も演奏させたということで、「日本吹奏楽発祥の地」、「国歌君が代発祥の地」という碑が有ります。毎年「旧体育の日」にはここでフェントンの「君が代」が演奏されると言いますからこの時期に訪問するのも良いかもしれません。

国歌君が代発祥の地碑

最後は、山手駅から帰路につきましょう。

以上のコースはゆったり歩いて、半日から一日で十分でしょう。
たまには、こんな散歩もどうですか?

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