こんにちは。木山音楽教室ピアノ講師の石田真亜沙です。
発表会が近くなってきました。舞台の上でお客様の前で演奏する経験はドキドキしますが、ドレスやワンピース、スーツなどを着て、華やかで楽しいものですよね!
ところでみなさんは、演奏会というものがどのように始まって今の形になったかご存知ですか?
これから数回に分けて、演奏会の歴史についてお話ししていきたいと思います。
まず、今回は「演奏会の始まり」についてのお話をします。
16世紀のヨーロッパに「カルヴァン派」という、宗教改革の中で出来たプロテスタントの中でも厳格な宗派がありました。
「聖書の中にないものは行ってはならない」と、聖書を最重視していた宗派で、オルガンも聖書に記載がなかったことから弾いてはいけないとされていました。
ですが、当時宗教改革が始まっていた頃には、ヨーロッパ各地の教会に立派なオルガンがあり、信者たちはオルガンに慣れ親しんでいました。
カルヴァン派は聖書にオルガンと書いていないから使ってはならない…でも使いたい…聴きたい…というせめぎあいから、教会で礼拝をしていない時にオルガンを弾いて信者が聴きに行く、教会におけるオルガンコンサートが行われるようになりました。
これが演奏会の始まりとされています。
また、もう一つ演奏会のはじまりと大きな関わりのあるものとして、オペラがあります。
オペラはイタリアフィレンツェで始まり、17世紀後半にはフランス、ドイツへと広められました。
ドイツでは、貴族が自分の宮廷の中に劇場を作って、楽団を抱えて、宮廷の中でオペラを上演するようになりました。
しかし貴族だけで楽しむのはもったいないと、一番下の床である平土間を庶民に開放して聴いてもらうようになりました。
これが、オペラを含めたクラシック音楽が、貴族を中心として庶民にも娯楽として広められるようになったきっかけです。
ところで、当時この劇場で行われていた演奏会は、今の演奏会とは大分様子が違ったようです。
劇場にはバルコニーがあり、そのバルコニーを区切ったボックス席のような一部屋を貴族が年間で借りていました。彼らは、オペラ鑑賞のために集まっていた、というよりは、劇場に行けばほかの貴族も来るということで、社交の意味合いがメインとされていたようです。
この貴族達のいるバルコニーには召使いが食事を運んできて、食べ終わったお肉の骨などを庶民のいる平土間に投げるなどの宴会をしていたり、ひいきにしている歌手が歌う時だけ静かに聴いて拍手し、ライバルの歌手の時はブーイングをするなど、今では考えられないような状態だったようです。
また庶民も有名な貴族の顔を拝みに、客席ばかり見ていた庶民もいたという話があります。
現代の演奏会は、演奏中、客席は暗いからほかの聴衆は見えないはずです。ですが当時は演奏が始まっても客席を暗くしてはいけませんでした。
このように、オペラという娯楽が世の中に定着していきました。
ですが、オペラを上演するのは人手も多く必要で、体力も多く消費するなど、とても大変です。昔のオペラは、いくつか演目を持っていてシーズンごとに集中的に繰り返して上演していました。
演目を変える度に大道具の入れ替えなどの目的で休演日がありましたが、休演日にも劇場に集まりたいという声があり、オーケストラ団やソリストに手伝ってもらい、オペラの代わりの娯楽として、音楽だけを楽しむ会を行うようになりました。
これが演奏会の始まりです。
では、次回はこうして始まった演奏会が、どのようにして確立されていったかのお話をしていきます。
石田真亜沙
(センター南教室・ピアノ/絶対音感/ソルフェージュクラス担当)