音楽エッセイ|ジャン・シベリウス

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ジャン・シベリウス(Jean Sibelius,1865年12月8日 – 1957年9月20日,フィンランド)

ベートーヴェン以後、最大の交響曲の作曲家は誰でしょう?

イギリスの高名な音楽批評家であり作曲家のセシル・グレイは「それはシベリウス」と主張しています。

ジャン・シベリウス 1913年撮影

ただ、ブラームス、ブルックナー、マーラーもいるし、いずれの作曲家も甲乙つけがたく、一人に絞るのは難しいというのが正直なところではないでしょうか。

でも、確かにシベリウスの残した7つの交響曲はどれも大変素晴らしいものです。

日本でも第1番や第2番はよく演奏会で取り上げられますが、残念ながら第3番以降はほとんど演奏されません。私は第3番以降が好きで、特に第5番と最後の第7番が「透明で清潔」というシベリウスの特徴がよく表れていると思います。是非一度聴いてみてはいかがでしょう。

シベリウスは、自身の作品についてこんな風に言っています。

他の多くの作曲家たちは、あらゆる色合いと銘柄のカクテルを作るのに忙しかったのに対して、私は、聴衆に純粋な冷たい水を提供しただけだ

まさにシベリウスの音楽は、私たちの渇きを潤すようです。

ところで、シベリウスは、91歳で死亡していますから当時としては大変な長寿でした。しかも6歳下の妻のアイノも97歳の死亡ですから稀に見る長寿夫婦です。

余計なことですが、妻のアイノは、容貌魁偉のシベリウスには不釣り合いの、美人で大変可愛い女性であったことが写真からわかります。

17歳頃のアイノ・シベリウス(Aino Sibelius)

二人の結婚生活は、シベリウスの暴飲暴食、過度な飲酒喫煙、喉の癌の手術や生計不安等々が重なり、一時はアイノが極端な疲労で療養生活を送るといったことも有ったようです。

しかも、シベリウスは1924年に第7番の交響曲発表後はほとんど作品を発表することなく、作曲できないストレスからうつ病も発症し、引退を余儀なくされていたといいます。

シベリウスは60歳で引退し、それから31年、アイノとの老々生活が続いたことになります。

なにか、現代日本の定年引退後の老夫婦の生活とダブるようですが、一体シベリウス夫婦はどのような生活を送っていたのか気になるところです。

シベリウスとアイノ 1940年代のはじめ

アイノは二人の人生を晩年こう語っています。

「私は、彼の隣で生きることが出来て幸せでした。(中略)暮らしがいつも容易なものだったとは言いません。自分自身の希望を抑え、制御しなければならなかったのです。でも私はとても幸せです。自分の人生を祝福します。天からの授かりものだと思っています。私にとって、夫の音楽は神の言葉です。その源泉は気高く、そしてそんな源泉の近くに生きられることは素晴らしいことです。」

シベリウスの音楽を聴くことが出来る私達も幸せ者です。


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