ピアニストが演奏時、曲調に合わせて顔の表情を変えたり、極端な場合思わず声を出したり、歌ったりすることが有りますが、鑑賞している私達にとっては演奏者の個性が見えてとても興味深いものです。
そして、演奏と表情が一体となって見事にシンクロした生の演奏会の体験は、CDやレコード鑑賞では得られない、深い感動と満足感を得ることが出来ます。
逆に顔の表情の変化に乏しい演奏には、演奏自体は素晴らしくても何か物足りなさが残るものです。
他にも、顔の表情がいかに大事かという例を挙げてみましょう。
例えば、2003年アメリカを主体とした連合軍が、イラクへ侵攻したイラク戦争時の話です。アメリカ軍がイラクのある街を確保するためイラクのゲリラ兵と激しい戦闘をしていましたが、アメリカ軍は無益な戦闘を終わらせるため、停戦の話し合いを街の有力な聖職者とするべく隊列を組んで街に向かっていきました。当然、イラク群衆は敵であるアメリカを信用せず、隊列に向かって石を投げたり、車に火を付けたりして進行を妨害します。その大混乱の中、指揮官はどうやってその暴動を鎮めるか大いに悩んだそうです。
銃での威嚇射撃も考えたそうですが、発砲をきっかけに血みどろの収拾の付かない状況になる恐れもあり決断できません。そもそもアラブ語もできない指揮官ですからこの状況を打開するには、視覚的に相手に訴える形で何かをしなければならないわけです。どうして良いか悩んだ末、次の瞬間指揮官は部下たちにこう叫んだそうです。
「みんな、笑え、笑うんだ」
すると、一瞬にしてその場の空気は変わり、群衆もアメリカ兵たちに微笑み返し、混乱は収束し、無事停戦の話し合いの場に着いたそうです。
感動を倍加するピアニストの表情、行動まで変えてしまう兵士の笑顔、この2つの例は共に顔の表情の持つ力を実感する例ですが、そもそもなぜそんな力が人間には備わっているのでしょうか。
その解明には、人類の進化を含めて多面的に追究していく必要がありますが、現状受け入れられている説を簡単にまとめると、
・人間は本質的に社会的な生き物(一人では生きられない、育てられない)
・従って、集団とうまく機能していくことが必要だった
・そのため、一緒に協力することが出来る協調能力、相互理解の能力と並んで、相手の怒り、喜び、悲しみなどを察する能力が必要となった
・言語を持たない時代から(持たない故に)、相手の表情を読み解くことが重要になり顔に注目するメカニズムが備わり、人間はお互いの顔を常に気にする生き物として進化
・感情表現としての顔の表情は人類共通でありとても重要な情報源となり、その情報を素早く処理して対応する機能が生まれながらに備わるようになった
つまり「顔の表情という視覚情報こそが、相手に共感して良いか冷静な判断を働かせるためのスイッチとなった」からと言えます。
特に、ピアノ演奏の場合は、音という「聴覚情報」と、顔の表情という「視覚情報」が重なり合うので鑑賞している私達は耳と眼を総動員して集中することになりますから、よりピアニストの心に共感し、感動を分かち合えるレベルが倍増すると言えるのかもしれませんね。
しかし、人間は嘘の表情を見破る能力も、生存競争に勝ち抜いた長い進化の間に精緻に身に付けてきていますから、見破られた時は共感が反感に一変することに気を付けなければいけません。
従って、演奏者は自分の心に正直に、自然な表情を付けることを心がけることは言うまでもないことです。