音楽エッセイ|フランツ・リスト

フランツ・リスト(Franz Liszt,1811年10月22日-1886年7月31日,ハンガリー)

ピアノの魔術師」と言われたリスト右手が、ワイマールのリスト博物館石膏で型にとって残されているそうです。それを測った人によると、指の付け根から指先までの長さが、人差し指で11cm、中指で12cmあり、オクターブを超えて12度から13度まで届いたのではないかと言われています。日本の成人男性の中指の平均長さが8cm程度ですから、いかに大きな手であったかが知れます。

晩年のリスト(Wikipediaより)

ただ、こんなに大きな手であったからピアノも上手になったのだろうと考えがちですが、そうとばかりとは言えません。

なぜなら、リストは7歳で初めての演奏会をハンガリーで開催し、その後ウィーン、パリでも演奏会を開催して大成功を収め(ベートーヴェンも聴いて絶賛したそうです)、既に13歳までには天才ピアノ少年として注目をされていたからです。10歳前後の少年の指がいくらなんでもそんなに長いわけがなく、指の長さとピアノの上手下手は必ずしも相関があるわけではないようです。

リストの生涯は、大きく以下の3つの時期に分けられます。

第1期(1830年から1847年)

リストがピアノのヴィルトゥオーゾ(virtuoso:音楽演奏において格別な技巧や能力によって名人、達人の域に達した人物を指すイタリア語)として各地でリサイタルを開催し、超人的な技巧で聴衆を圧倒、興奮させていた時代です。作曲もピアノ曲中心で、大衆受けするオペラのパラフレーズとか「超絶技巧練習曲」、「パガニーニによる大練習曲」等々が作曲されました。

第2期(1847年から1860年)

第1期での女性スキャンダルや奔放な生活から逃れるように、リサイタル活動を辞めワイマールに居を移し作曲に専念する時代です。ほとんどの交響詩や「ピアノソナタロ短調」をはじめ長大なピアノ曲が作曲されました。

第3期(1860年から1886年)

リストは若いときの生活を反省するかのように、1865年僧籍に入り、公的な活動は僧侶の服装で行い宗教音楽に取り組みだした時代です。長大なピアノ曲は減り、20世紀を先取りしたような無調的、深みのある曲が作曲されました。

リストの一生(左から少年期・青年期・壮年期・老年期)Wikipediaより

以上ざっと眺めただけでも、千変万化の人生を送った人間であることが解ると思います。

リストというと一般的に、ピアニストとしては素晴らしかったが、派手で女性スキャンダルまみれの第1期のイメージで語られがちですが、私にはリストの本質は、ピアニストではなく、第2期、第3期の作曲家としてのリストにあると思えます。

ちなみに私の好きなリストのピアノ曲、「ピアノソナタロ短調」「詩的で宗教的な調べ(全10曲)」「コンソレーション(全6曲)」「巡礼の年第3年(全7曲)」は、全て第2期、第3期に作曲された作品です。聴いていると、私には宗教的な雰囲気というより、それを超えて規則に縛られない自由な世界を散歩しているような気がしてきます。

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